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日露演劇交流年表 露演劇会議編

1702年

カムチャツカに漂着した船乗り・伝兵衛がピョートル大帝に謁見。後に大帝はペテルブルクに日本語学校を開設する。

1734年

ロシアで最初の日本に関する本『日本誌』刊行。

1736年

ぺテルブルクにアカデミー付属日本語学校設立。伝兵衛が教師となる。

1738年

ロシア最初の『露日辞典』(『新スラブ・日本語辞典』)成る。

1754年

ペテルブルクの日本語学校をイルクーツクに移転。1816年に閉鎖

1756年

ペテルブルクに最初の常設劇場「ロシア」開場。

1791年

6月、大黒屋光太夫、ツアールスコエ・セロにてエカテリーナ2世に謁見。

1794年

大黒光太夫の体験をまとめた桂川甫周の『北槎聞略』を幕府に献上。

1816年

1811年に千島列島を測量中に拿捕されたロシア軍艦ディアナ号の艦長ゴロヴ二ーンの『日本幽囚記』ロシアで刊行。

1824年

モスクワにマールイ劇場創設。

1825年

モスクワにボリショイ劇場開場。

1853年

8月、露使プチャーチン、長崎に来航。

1854年

12月、ディアナ号、駿河湾で沈没。

1855年

2月、幕府、日露和親条約調印。 1953年にプチャーチン提督の秘書官として来日した作家ゴンチャロフの『フレガート・パルラダ』(「日本におけるロシア人」を含む)刊行。

1865年

6月、ペテルブルクの商人ハインリッヒ・シュリーマン日本訪問。江戸で大芝居を見る。後、彼はこの時の清国・日本 の見聞を旅行記にまとめ1869年、パリで出版。この書は、後に多くのロシア知識人の日本への憧れを誘った。彼がトロイアの遺跡発掘に成功したのは 1871年のことである。(『シュリーマン旅行記 清国・日本』)

1866年

7月、幕府、市川文吉ら6人の留学生をロシアに送る(最初のロシア留学生)。

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