モスクワ訪問記(5)
ところで、ケンさんがライキンの劇場を訪れたのはほかでもない。
ここの演劇大学を見学するためであった。
モス芸の教師でもあるセルゲイが、ここで教鞭を執っている。
そのセルゲイの案内で、学内を見学したのだ。
大学の中には学生の公演用の劇場もあるが、驚いたのは屋上にも公演用のスペースがあったこと。
夏に、野外で、それも中空での公演が可能なのである。
その眼下には公園があり、いずれそこでも野外公演を、という。
このライキンの演劇大学を見た後、ケンさんは旧知のボリス・リュビーモフが学長を務めるシェープキン演劇大学(マールイ劇場付属演劇大学)俳優学部の3年生の授業を見学した。
3年生とはいえ、もはや日本の新劇俳優よりも達者な演技、それも臭みのない演技を披露する若者たち。
2組の学生がそれぞれ「ヘンリー8世」の一場面を演じてくれたが、これは前日の「悪魔の祭典」よりはるかに楽しかった。
(比べるほうが間違いだが)
その後、ボリス学長と久々に懇談。
ボリス学長いわく、
「短期間でのWSでの演劇教育は無理です。意味がありません」
率直な意見だった。
もちろん、これにはケンさんも同感だ。
長期間にわたる演劇教育をするとすれば日本にしかるべき学校を創るしかない。
しかし、ケンさんにお金はない。
「またしても、ウーム」
である。
とはいえ、ボリスさんとの語らいは楽しかった。
「次回は、もっと時間を持って会いましょう」
ということで、バイバイした。
学長室の秘書さんが美人だったので、ケンさんは帰り際、さりげなく日本のチョコをプレゼントした。
日本だと気恥ずかしいが、なぜかロシアではケンさん、そういうことを自然にやってしまうのだ。
フクちゃんが見たら、うらやましがるだろう!
ところで、下の写真は「シェープキン演劇大学」の120周年の記念誌。
もちろん、ボリスさんにサインしてもらった。
最後に訪れたのは、日露演劇会議のメンバーで、今回のモスクワ訪問の案内役を務めてくれたヴィクトルの教えるオスタンキノにあるモスクワ・TVラジオ大学演劇学部のムーブメントの授業。
十数名の男女からなる2年生の授業だったが、全員、明るく伸びやかだったのが印象的。
しかも、この学生たちが見せてくれたムーブメントが非常におもしろかった。
バエレやアクロバット経験のまったくない俳優学部の学生たちが、
「ここまでやるか」
と思わせる鮮やかな身体動作を見せてくれるのだ。
それも自分たち自身で楽しみながら。
日本の偏差値の低い演劇大学と違い、何十、何百倍の難関を突破して4年間充実のプロ教育を受ける若者たち。
見学を終えたケンさんは、彼らに、
「パカー!」(また会おう)
と声をかけた。
すかさず、彼らからも、
「パカー!」
の声。
こうしてケンさんは、前夜の「悪夢」を払いのけ、夕方には空港へと向かったのである。
心残りは、翌日行なわれるジェノバチの新作公演「自殺者」のゲネプロを見られなかったことだが、これは後でDVDを送ってもらうことにした。
今回は、まったくの駆け足。
落ち着いて観劇三昧することができなかったが、それは次回の楽しみとすることにしよう。
ナム!