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主催事業

ロシアで村上春樹

2007/01/02
江原 吉博(共立薬科大学教授)

オムスクのメインストリートにある貴婦人の銅像

オムスクのメインストリートにある貴婦人の銅像

オムスクは西シベリアの南部に位置する人口百十万の中都市だ。本誌の読者には数年前「三人姉妹」や「砂の女」を持って来日した、オムスク・ドラマ劇場の所在地として記憶されている方も多いだろう。日本との時差は三時間。ちなみに日本とモスクワの時差は六時間だから、ちょうど中間くらいの位置に当たる。私が滞在したのは三月後半の二週間。この時期当地にいる日本人はおそらく私一人だといわれたが、街をぶらついていると思わず、やあ、と声をかけたくなるような日本人的風貌の人間にもたびたび出くわすほど、ヨーロッパやスラブ系の人間以外に、アジア系の人種もかなり多く住んでいる。

周辺にはこの冬零下四十度を記録した都市もあると聞いていたので、三月半ばとはいえ、出発前の私の気持ちは重かった。しかし、到着したとたん、そんな気持ちは一気に消し飛んだ。着いた日から帰る日まで、空は毎日晴れ渡り、日中の気温は零度近くに上がり、用意していた手袋も帽子もまったく使わず仕舞いだった。道端に残る雪も溶け出し、舗装の悪い道を足元を気にしながら歩いていると、『罪と罰』だったか『カラマーゾフ』だったか、雪融けのぬかるみを避けながら歩く主人公の姿をふと思い出したりもした。オムスクはドストエフスキーの流刑地でもある。

この季節そんな町に出かけた目的はといえば、国際交流基金の支援による「日本文化紹介のレクチャー」を行うためだった。当地の総合大学での日本文化紹介のプロジェクトは演劇評論家の村井健氏が先鞭をつけ、この数年継続されてきた試みである。演出家の松本永実子さんも「祭り」をテーマに講義をされたと聞く。今回私に白羽の矢が立ったのも、この時期ほいほい出かけていくおっちょこちょいは私くらいのものだったからと思っている。しかもテーマは「村上春樹の文学世界」だ。安請合いした私は、その後大変な思いをすることになった。初期から中期の作品はあらかた読んでいるものの、ここ数年の作品はほとんど読んでいない。勤め先の仕事も一段落した二月初めから一ヶ月ほどの間、私は明けても暮れても村上春樹の小説を読みまくることになった。電車の中でも喫茶店や劇場の片隅でも、とにかく読むしかない。
こんな読書は生まれて初めてのことだ。そうやってほとんどの作品を読み終えると、今度はそれを書かれた時期に従って三つの発展段階に分け、それぞれの特徴を時代状況と関連付け、青息吐息で何とか五日分の講義に纏め上げた。しかもロシア語に関しては文字さえろくに読めない文盲同然。講義は当然通訳頼り。原稿は一回分書きあがるごとにメールで送り届けていたが、最後の原稿を送った時は、ノボシビルスクに住む通訳のイリーナさんは既にオムスクに向けシベリア鉄道で旅立った後、私も出発の前日だった。

胃の痛む思いで出かけたロシアだったが、案ずるよりなんとやら、当地では楽しいことの連続だった。迎えてくれたオムスク総合大学国際部のスタッフはみな気持ちのいい人ばかり。言葉のできない私のためにこれ以上ないほどの気の使いようで、通訳同行でもあり、困ることは何一つなかった。三日間講義することになった農業大学の国際部でも、本物のピロシキが食べたいと半ば冗談で言った私のために、主任の女性教授は食堂から山のようにたくさんの三角形の揚げパンを買ってきてくれた。意気に感じた私は、文字通りげっぷが出るほどたくさんのピロシキを一人で平らげた。オムスクは食べ物がおいしい。野菜も驚くほど多彩で豊富だ。野菜は温室栽培でたくさん取れるようになったというが、食料だけでなく物資が豊富なことには目を見張るばかり。もちろん買い物行列など昔の語り草に過ぎない。シベリアと聞いて漠然と感じた暗いイメージはいっぺんに吹き飛んでしまった。
村上春樹が韓国や米国でブームというのは聞いていた。しかしこれ程までとは正直驚きだった。ほとんどがロシア語にも翻訳されている。

当初は百人ほどを見込んでいた受講者も四百人近くが押し寄せ、二日目からは大教室での講義となった。学生は熱心でひたすらノートを取る。質問も続出。私もまだ読んでいない作品を挙げ、解釈を質す学生もいる。私は謝るしかなかった。講義が済むと何人もの学生がサインを求めてくる。オレは村上春樹ではないのに、と複雑な心境だった。ロシア語版の愛読本をプレゼントしてくれる子、ツウショットを求める子、教師家業をしていてこんな経験も初めてだ。州立プーシキン図書館での公演でも同じ。テレビも二局がインタビューに来た。ロシア人の日本贔屓の現れか。それとも余程ネタ不足なのか。一躍有名人になった気分だった。たった一つの心残りは、土産や酒の肴にと買い込んだ多量の上物のサラミを成田で没収されたことだ。オムスクで重量超過料金まで払って持ち帰ったのに、正直に申告した私に検疫官は無慈悲だった。

オムスクのスーパーに並んだ惣菜

オムスクのスーパーに並んだ惣菜