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主催事業

「うん」と言ったが運の尽き!?私のシベリア体験

2007/01/02
加藤 桂子(近代演劇研究者/常務理事)

シベリアへ
2006年5月15日、風邪から回復したばかりの私は、モスクワ・シェレメチェボ空港の国内線ターミナルで一人、ただただ後悔の念にとらわれていた。英語 がほとんど通じない。電話をかけるのも一苦労。荷物を預ける場所はありそうだが、これでは無理。出発までの6時間をどう過ごせばいいの? 椅子を見つけて ほっとしたのも束の間、わざわざ隣に席を移してきたアル中らしき男性が何やらひたすら演説口調で話しかけてくる。理解できないから知らん顔している私を、 周りの人々は怪訝そうに見るばかり。いたたまれず、重い荷物を押してその場を離れた。そんなこんなでチェックインが始まると、今度は荷物検査のために何度 もスーツケースを持ち上げたり、下ろしたり。力仕事は苦手なのに。ああ、でもこれは何もかも自分のせい、なぜあの時、村井さんの誘いに「うん」と言ってし まったのだろう。
オムスク行きのアエロフロートの機体にはなぜかアメリカの航空会社の名が大書してある。座席は布製だが、クッション材の存在がほとんど感じられない。まる で荷物になった気分での4時間は、夜から朝へ向かって進む。オムスクで鉄道駅を見て、その意匠の素晴らしさと広く静かな待合室に、選ぶべき交通手段は別に あったのではないかと思い至ったのは、随分後のことである。
オムスクの空港では、早朝の寒空の下、大学職員のナターリャさんと通訳のリューシャさんが待っていてくれた。もう二人が聖母のように思える。こうして私のオムスク滞在が始まった。

加藤さんの授業風景

加藤さんの授業風景

大学
ナターリャさん作成のスケジュールは、総合大学と農業大学での講義だけでなく、食事の時間から観劇や美術館見学まで、無駄なくパーフェクト。そして何より 意外だったのは、事前に日本で聞いていた噂とは裏腹に、このスケジュールが全く狂うことなく、時間通りに遂行されたことだ。
さて、私に課された職務は、一言で言うと日本の演劇をめぐる環境を語ること。演劇そのものだけでなく日本の行財政についての知見を些かなりとも学生たちに 得てもらいたいという主催者側の意図もあった。そこで「伝統と現在」「中央と地方」というキーワードの下に、日本の舞台芸術に対する公共政策を語ることに した。
オムスク大学は13の学部を持ち、学生数は1万人を超える総合大学であり、受講生の専攻は国際ビジネスから物理まで多種多様。もちろん俳優や演出家を志望 する演劇専攻の学生もいて、「ロシア近代劇の演技はスタニスラフスキーによって確立されたが、日本にはそのような人物がいるのか」などと、突き刺さるよう な質問を可愛い顔で平然としてくる。 文化行政について話すといっても、広大なロシアの大地の連邦制下で暮らす彼らには、単独国家で中央集権的な日本の行 政制度の基本から説明する必要がある。日本のアニメや車のことはよく知っていて、「先進国」の日本に憧れてもいる。しかし90年代に日本経済が危機的状況 を迎えて今も不況から抜け出せていないことなどは殆ど知られていない。彼らの中にも、自分たちが得ている情報が不確かなものであるという意識はあるよう だ。明治以降の急速な近代化と伝統文化の問題についての話にはロシアの状況を重ね合わせて考え、近年の文化施設を巡る行政の様々な動きとその背景にある行 財政問題の話にはイメージだけでない真の日本の姿を知る足がかりとして、深い興味を示していた。
初日の受講者は80人を超え、最後の試験を受けたのは70人弱。毎日欠かさず出席し、前方の席に座って熱心に耳を傾けてくれた学生も多くいた。私の拙い話を真剣に聞いてくれた学生の皆さんと、根気強く通訳してくれたリューシャさんにとても感謝している。
嬉しかったのは「日本語の響きが心地よかった」という感想を何人かの学生が書いてくれたこと。無芸で何一つ伝統的な文化を身につけていない私だが、そうい う自分にも、日本語という特技?があったのだということに初めて気付かされた。これからはせめて綺麗な日本語を話せるように心がけたい。

都市オムスク
まず、最初に驚いたのは、街にあふれる広告。道路を跨ぐ横断幕、公園にも立看板、テレビドラマの画面にも字幕、至る所が広告だらけ。道路や公園などの公共 施設が堂々と広告を掲示しているのは、共産主義プロパガンダに利用したメディアをそのまま転用しているということなのだろうか。まあこれは他の都市でも同 じらしく、オムスクの特徴とは言えないのだが。
人口は百万人、石油化学産業が最も主要な産業との話だが、大学と寮の往復の生活で、そこで働く人々の姿を直接見るまでに至らなかったのは残念だった。ここ には現代劇のオムスク劇場、音楽劇場、人形劇場、小さいながらも美術館があり、文化的な機能は一通り整っている。建設ブームを受けてか、昨年州の予算で作 られた人形劇場などは、驚くほど贅沢で近代的な設備を備えていた。スタッフ自身が「こんなに立派なものが出来て私たち自身も驚いている」と言っていたほ ど。このほかにも、教会の再建やそれに付属する博物館の建設など、文化施設はさらに充実の度を高めて行きそうな気配である。その一方で、生活に関する社会 基盤のほうが後手に回っている感がある。文化が生活インフラに先行するという状況を目にすると、その歴史的背景に思い至らざるを得ない。
都市の基盤づくりは今急速に進んでいる。ます長年の懸案の地下鉄建設が進行中。自家用車が普及していないので、大型バスとミニバスが連なるように走ってい るが、幹線道路はそれほど渋滞しているわけではない。しかし、来るべきマイカー時代に備えて、域内鉄道の早期整備は不可欠だろう。商業施設の建設も進んで いる。最も新しいショッピングセンターには、高級ブランド物のブティックが毛皮や皮製品などの特産品のそれと共に並んでいた。まばらなお客と煌びやかであ ふれんばかりの商品は、日本のどこかで見たような光景で、都市というのはどこでも、こういうものを持つことにその成長の証を求めるものなのだろうか。
今はまだ都心部にも高層建築が少なく、古い低層の建物が広がっているが、これも次第に様相を変えていくのかもしれない。

オムスク大学

オムスク大学

勇気ある人
5月のシベリアは樹木が日増しに生気を得て、若葉がまぶしい。シベリアの春を経験すると、冬は厳寒のこの地になぜ人々が住みついているのか、その理由がわかるような気がする。そして滞在最後の日には、一気に夏へと到達してしまうのではないかと思われるような暑さになった。
その日、オムスク大学の国際部長のイッセルス氏が「シベリアに来たあなたは勇気ある人だ」という言葉をかけてくれた。そういえば学生から集めた感想の中に も同じようなものがあった。言っておくが、百万都市である。そりゃ、モスクワでは辛い思いをしたけれど、ここに来てからは、旅行者ならではの不便はあるも のの、人々がごく普通の都市生活を送っているのを見てきた。若い人たちはとてもファッショナブルだし、映画は世界同時公開の「ダビンチコード」をやってい る。テレビCMを見ていても、日本と同じような商品が続々と出てくる。情報に時差があるわけでも、物流に難があるようにも見えない。けれど、ここはあまり 人のやってこない辺境の地であるという意識。確かにそれは間違いなくそうなのだろう。私自身、地方都市での生活が長かったのだが、オムスクの人々が自身の 位置を客観視するその平衡感覚は、何か特別なものに思える。州都として奢ることなく、また、決して井の中の蛙になってはならないという自戒のようでもあ る。有名な句なのか彼女の自作なのかはわからないが、ある学生が感想の中に書いてくれた言葉が印象的だったので、ここに引用しておきたい。「ふるさとの地 の上に立ちながら、目は全世界を見るべきだ」。