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主催事業

日本文化講座レポート2 とうとうオムスクへ!

2005/08/28
松本 永実子(演出家/理事)

[2005.05]

通訳のイリーナさんと国際部のヤーナさん

通訳のイリーナさんと国際部のヤーナさん

劇団の事務局長が初めてオムスクの地を踏んだのが10年前。居合わせたアメリカ、ミルウォーキー・レパートリー・シア ターの経営陣との間で「沈黙」の合同公演の企画が持ち上がり、数年して昴の所員になった私は現実となったこの企画の翻訳・通訳として関わり、初演を日本で 再演を日米で経験しました。というわけでオムスクは私にとってはミルウォーキーが介在した街でした。そのオムスクと初めて直接手を繋ぐことになり、冬中か けて講義録を準備し、連休真っ只中の5月2日、成田空港から発ちました。
JRのコンコースまで進出した換金所ではドル紙幣の札束がバナナの叩き売りみたいにばら撒かれ、パスポート確認も税関も出発手続きも身体検査もアニメ声の 女性。何て平和な...ところが機上の人となった途端、ロシア人極真会のごっつい皆様とご一緒になり、いきなり緊張!まあ無事にモスクワに到着しました が、迎えに出ていてくれた日本語ペラペラのガイドさんは時速50キロを100キロで飛ばすし、街には「対ドイツ戦勝60周年記念」の巨大看板が陣取ってる し、でも例の如くスーツケースを盗難防止の巨大サランラップでくるんでオムスクへの国内便に。

教育大学の寮の入り口

教育大学の寮の入り口

ところがところが、オムスクに到着して通訳のイリーナとオムスク国立大学の国際部ヤーナ(写真) に出迎えられてからの10日間は、それこそ極上の精神 セレブな日々でした!もちろん、宿泊施設(写真は教育大学の寮の入り口。監獄の入り口の風情...)はものすごく質素、最初の日はヒーターがなかったので 寒くて眠れずシーツにホカロン貼って寝たし(これお勧めです)、途中でお湯が出なくなったりもしたし、食事にはキャビアも蟹も出ないし、教室は講堂兼用だ し、道だって未舗装なところもあったし大学のトイレなんぞ、関係ないイリーナが「ごめんなさい」と謝ったほどの代物でございました。

しかし、しかしです!昭和30年代生まれの私にとっては、現在のオムスクは郷愁を感じる土地だったのでございます。毎日どんどん増えていく緑、草いきれ、 蚊の大群、あちこち汚しまくる鳩の糞、毎日見える飛行機雲、団地の庭で戯れる子供たち、路面電車が走らなくなった線路、食堂の(パンからデザートまで)全 品手作りの食事、家からそのままの格好で来ちゃったような銀行窓口のオバチャンたち、草取りする主婦の田植えのような屈み方、一見して職人とわかる顔の 真っ黒なオジチャンたち、家で漬けたピクルス(日本で言えばぬか漬け)、全てがあの頃の東京を思い出させる……至極懐かしかったのでした。
オムスク国立大学での授業はなぜか大盛況で毎回80~90名の学生が押しかける騒ぎ。日本の田楽の授業がなぜあんなに人気があったのか、いまだにわかりま せん...静岡県西浦田楽なんて、日本人だって知らない人の方が多いのに、彼らはその内容まで細かく暗記してしまったのでありました。おりしも戦勝記念の お祭り騒ぎで、町中で各種のパフォーマンスが行われており、イースター直後で墓参りなどというお盆みたいな行事もあったりで、田楽や祝祭の講義が現実とシ ミュレーションできたのも幸いでありました。ほんとうは、世界各地の祝祭は文化人類学的に分析して表層を剥いでいくと共通点が多々ある、という持論をちょ こっと披露して、戦勝記念で彼らが「祀っている」ものが実は何であるのかを考えてほしかったのですが、まあ、そこまでは無理というものでしょうか。

オムスクで見た一番暗い風景は……巨大団地の戦勝記念広場でトランペットでジャズを演奏していた男性。オムスク国立大学の演劇科の先生のお住まいに招待さ れ、ノボシビルスクで遺伝学教授を務める兄上が里帰りしていらして私たちをバス停まで迎えに来てくださったおりに見かけ、トランペットの主がこの団地のア ル中患者の住人であることを聞かされました。妹の先生の方は、ごちそうになった後で家路につく私たちに隣人の家を訪問するよう強く勧められたのでなぜかと いぶかったのですが、行ってみたら、ニコニコして出迎えてくれたのは車椅子の、その家の長男でした。市電に轢かれて一生歩けないからだになったそうです。 でも障害者のバスケットボール選手権に出ると張り切っていました。その子のお姉ちゃんは部屋でPCとにらめっこしながら「あたしは英語と中国語をマスター して仕事に就く!」と険しい顔付きでした。ふたりとも東洋からの客がいきなり飛び込んできたことを大変喜んでくれました。そういうことだったのですね…… ロシアの市民レベルで日本は今、珍しい国、トヨタとホンダとアニメの国=人によっては戦後の日本にとってのアメリカみたいな国のようです。
アメリカの介在がなくなって直接手を触れてみると、オムスクの手はどうにも捨てがたく暖かい手だったのでありました。