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主催事業

日本文化講座レポート1 おろしや銀河鉄道の旅-オムスク編―

2005/08/28
清水 柳一(演出家)

[2005.07.10]

オムスク大学

オムスク大学

「オムスクへ行きませんか」と誘いの水が私にも差し向けられた。勧誘の主は、もちろん、村井健事務局長である。「行きます」との返答が口をついて出てきたものの、内心は落ち着いていなかった。旧ソ連・ロシアとの付き合いには、積年のなんとやらという思いはあるが、なにしろここ10年以上もロシアの地を踏んでいない。が、とにかく、オムスク大学の日本文化講座の講師役を引き継ぎ、その2005年度の候補のひとりになった。
オムスク訪問の最初の誘いは、それこそ10数年ほど前に遡る。現在ノボシビルスクの国立オペラ・バレエ劇場の支配人であるボリス・メズドリッチさんがその仕掛け人だった。当時、ウラジオストクの劇場との関係に忙殺されていた私は、その提案をむげに断ってしまった。そのせいか、心の隅にはいつもオムスクが潜んでいたようだ。今回、村井さんの誘いに乗ったのも、その心の影がちらりと動いたからなのかもしれない。
しかし、気は動いても、先立つものがない。村井さんの助言で国際交流基金に助成を申請することになった。幸いにも渡航費(航空運賃)が出されることに決まった。ここまできたら、行くしかない。一旦申請した助成を断るなど、プライドが許さない。第一、もったいない。

ところで、日本文化講座だから、日本のことがテーマとなる。日頃、ロシアばかり扱っている私にとっては、手ごわい対象だ。とにかく、頭に浮かんだのは、こ こ数年続けているロシア語と日本語によるバイリンガル朗読だった。事務局長には、「チェーホフをロシア語と日本語訳で読む」と胸を張って応えた。しかし、 我ながら、どう考えても腑に落ちない。ひとつのことにこり固まったゴーゴリの『外套』の主人公のようだ。困った人間である。チェーホフが頭から離れない。
と、ある時、堪忍袋の緒が切れそうな村井さんから提案があった。「宮澤賢治をやったら。『銀河鉄道の夜』を読むだけでいいからさ」 してやられた! 私 は『銀河鉄道の夜』を訳すと大言壮語しておきながら、その作業を完了していない。剣術に長けた村井氏の竹刀がビシッと胸を突く。ドン詰まりである。銀河鉄 道に乗って、あの世に行って来るしかない。この世に戻ることができるなら、御の字だ。そう覚悟すると、気が楽になった。
訳しては消し、消してはまた訳すという一心不乱の作業を終え、その翻訳を在日ロシア人の同僚の先生にゴールデンウイークの一週間という過酷な条件で校正 してもらった。昼夜兼行でパソコンのキーを打ち続けた私は、見るも哀れなギックリ腰のまま、その原稿を後生大事にアエロフロートの機内に持ち込み、オムス クの寮の部屋に着くまで手放さなかった。

オムスクの寮は、玄関の鍵と部屋鍵と鉄格子付きの窓で守られている。つまり、不審者の侵入は99%の確立で不可能という恵まれたセキュリティー条件なの だ。日本から持ち込んだ資料を読み漁ってはメモを取り、頭を整理した。出発前は、翻訳に振り回され、授業の準備どころではなかった。音読の練習も欠かせな い。真夜中、鉄格子が真っ暗闇の空洞を背にして凛と立ち並ぶ。その鉄格子に囲まれた窓を開け放ち、声を出し続けた。
5月17日。快晴。午後3時。いよいよ大学での授業本番である。だだっ広い講堂に案内された。学生たちが記念集会を開いたり、芝居をやったりするホール だという。マイクはない。これくらいの声があればいいかなと判断しながら、声を出して、私の世話をしてくれている国際部の職員ヤナさんに声が通るかどうか 聞いてみた。これで準備OKと学生の入場を待つ。

ところが、授業開始のベルが鳴っても、学生の姿はちらほら。講堂は一向に埋まらない。それでも30人近くは集まった。
ロシアで宮沢賢治はほとんど知られていない。インターネットでロシアのサイトを探っても、せいぜい人名辞典に毛の生えたような情報しかない。賢治のこと をまったく知らない学生たちを前にして、まずその生涯や作品についての説明から始めた。しかし、評論に必要以上の時間を割く余裕はない。今回の私の目的 は、あるがままの拙訳『銀河鉄道の夜』を学生に読み聞かせることだ。
翌日、作品の翻訳を冒頭から読み始めた。学生たちは無言のまま、ただひたすら私の音読に聞き入っているが、声を出している私のほうは気が気でない。「たった一度の読み聞かせで分かってくれるのだろうか…」という不安が頭をよぎる。
読み聞かせは、その翌日も続いた。この日の授業は、階段教室で行われたが、どういうわけか、学生の数が一気に膨れ上がり、出席数は60人以上になった。
その日は、どうしても終わらせたかったのだが、読み終えることができなかった。あと30分時間くれとヤナさんに頼んでも、無理だという。それもそうだ。 ロシアの学生は、終了ベルが鳴れば、こちらにはお構いなし。遠慮なくゾロゾロと退室していく。居残って聴いてくれと声をかけても、暖簾に腕押しだ。あと 30分なのにと歯軋りしながら、悶々と次の日を待つ。

オムスク大学の日本文化講座でのビデオ観賞

オムスク大学の日本文化講座でのビデオ観賞

そして、読み始めてから3日後、音読完了。すぐにテストへと移る。学生には、授業の初日から、採点なしのテストとして感想文を書いてもらうと宣言してあっ た。戦後日本の「民主的平等」を象徴する丸バツ式の純客観テストは避けた。丸バツ式では、学生の中身は絶対に見えてこない。採点も避けた。感想は千差万別 に決まっている。点数などつけるのはナンセンスきわまりない。 生徒には、次の4つの課題を出した。1)作品の印象について。2)作品のテーマは何か?3)主人公たちについてどう考えるか?4)サブカルチャーについて どう思うか?
このうち4番目の課題は、唐突な印象がぬぐえなかったので、必須課題ではなく補足質問として扱った。
生徒ひとりひとりに日本から持参したロウソクを配る。学生たちは、およそ1時間、机にかじりついて、ちらちらと揺れるロウソクの灯りにたまに目をやりなが ら、作文に熱中した。早めに書き終えて提出する生徒がいる。その文面に目を通した私は、思わず身震いした。解読の困難なすさまじい手書きレポートの単語と 単語のはざまから、『銀河鉄道の夜』の真髄をつかむような言葉が目に飛び込んできたからだ。次から次へと学生の作文に目をやっていると、腹の底からふつふ つとした喜びが盛り上がり、こわばっていた筋肉が開放されていく。

女学生のエレーナは、作文に「心の中を旅しながら」という題名をつけて、こう綴っている。 「(作者と)一緒に汽車に乗って自分の心の奥を旅しよう。新たに自分を見出してみよう。そして、いちばん大切なことは、まさに自分にとって仕合せとは一体 何なのかを理解することだ。こちらが信じるなら、他の人たちの心もこちらに開かれていき、こちらの胸の中で空の星のように輝くのだ」
また、学生のマクシムは、作品のテーマは「道」であるとして、こう書いている。
「道がそもそもの基であり、道そのものが目標なのだ。そのことが主人公たちを動かす。しかも、道の終焉は、好ましくないし、望ましくない。新しい道のきっ かけがあるのだ。作者は、あたかも読者に真理の道(空の道)に目を向けるよう呼び掛けているようだ。その道では、生きることが真理となる。言い換えれば、 目標を手に入れる。つまり、その道に踏みとどまるという、その道から降りないという志を手に入れるのだ」。
学生のアンドレイによると、この作品は「作者を読むのではなくて、まるで自分を読むかのように書かれている」という。そして、次のようにまとめる。「愛情 と友情があるから、そもそも生きることができるのだという思想を説いているのだろう。ただそのことのためにこそ生きる価値があるということだ」。

そして、女学生のナターリヤは、『銀河鉄道の夜』の印象を「明るい哀しみ」と表現して、主人公の2人の友情に触れながら、こう結んでいる。
「ジョバンニが困難な時に支えてくれるのは、カンパネルラです。そしてカンパネルラがサウザンクロスまで行くのを見送ってくれるのは、ジョバンニです。カ ンパネルラは、友達のために自分を犠牲にします。さそりが必死で懇願していたことをやってのけます。天国のカンパネルラはひとりぽっちではありません。そ こには沈没した船からやってきた新しい友達がいます。ところで、ジョバンニもひとりではありません。ひょっとすると、もう家ではお父さんが待っているかも しれないのです」。
作品を一度だけ耳で聴いてよくぞここまで作品の内容をつかんでくれたとつくづく思う。心から学生諸君に感謝したい。苦労した甲斐があったというのはこのことだ。
今回の講演旅行が実現したのは、何よりもまず村井健さんの発案によるところが大きい。
すべて村井さんのプロデユースによるものである。私はただその名案にくらいついたにすぎない。国際交流基金の理事・担当者の皆さん、OMツーリスト社の田 代紀子さん、オムスク大学の国際部の皆さん、松本永実子さん、そして陰で応援してくださったロシア語通訳協会の岩谷佳子さんをはじめ多くの皆さんに心から 感謝したいと思う。