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主催事業

第1回「演劇教育研究会」シンポジウム

2013/03/24
 日露演劇会議事務局

第1回「演劇教育研究会」シンポジウム

[システムは日本に成り立つか? 日本における演劇教育の問題点] 基調報告

                                                        報告者:常務理事・守輪咲良

 こんにちは。基調報告をさせていただきます守輪と申します。よろしくお願いします。

今年のお正月休みにたまたま童門冬二の「川上貞奴」という本を読んだのですが、村井さんにその話をしたら、日本演出者協会の本のなかに、「川上音二郎」のことを村井さんが書いていると言うのです。さっそく読ませてもらいました。本を読むまで、貞奴のことは「パリ万博で芝居をやって有名になった日本の女優」、夫の音二郎については「オッペケペの壮士芝居」くらいにしか知りませんでした。ところが本を読んでみると、日本の演劇教育のはじまりについて語るとき、音二郎と貞奴ぬきには語れない歴史があることが分かってきました。二人はアメリカで、ヨーロッパで、演劇学校の教育システムを身をもって学ぼうとさえし、日本に俳優の養成機関をつくろうと尽力をつくしています。そんなわけで、今回の第1回シンポジウムはまずはこの二人の話からスタートさせたいと思いました。

音二郎という人は、日本の「演劇の変革」を本気になって考え、そして、そのためにはバカがつくくらい純粋に体当たりで戦った人でした。

残念ながら日本の旧壁は厚く──つまり日本は歌舞伎の歴史が非常に長く、昔からのやり方が根深く入り込んでいましたから、ものすごい抵抗にあうわけです。変革はなかなか進まないうちに、音二郎は47才という若さで亡くなってしまいますが、日本の現代演劇のはじまりにこういう演劇人がいて、新しい演劇を興そう、育てようと、まさしく命懸けで戦っていたわけです。

私は日本の現代演劇は小山内薫、坪内逍遙などがはじまりだとばかり思っていましたから、

その少し前に、インテリ演劇人とは違った野生動物のようなエネルギーをもった演劇人がいたことに大変驚いて感銘を受けました。

さて、1900年、川上一座はアメリカを公演してまわり、ニューヨーク滞在中に演劇学校で授業の見学をしています。おそらく日本人として初めて俳優教育というものに出会ったのではないでしょうか? それが今から113年前のことです。村井さんの本のなかに、音二郎が書いた演劇学校での授業のやり方が一部載っていますが、音二郎の驚きが伝わってくるようです。

「教育の仕方は啓発的で、教師が教えるのではない教わって覚えて行くのではないのです。自分てんでに実地の研究をして、その研究した結果を毎日学校に持って行って、受持教師の前で一々演って見せて、それから意見を聞いて大いに啓発するのです。」と、いうのですが、歌舞伎が主流の当時の日本の芝居世界からみたら、これはもう全く考えもつかないやり方だと思います。

今でも日本の学校教育は「教師は教えるのが仕事で、生徒は教わるのが当たり前!」なんじゃないでしょうか? ほとんど変わっていませんよね? ここが変わって行かれるかどうか──。 まして演劇教育となると、いまだに何を教えるのかさえ定かじゃないわけですから、推して知るべしです。

スタニスラフスキーの弟子で天才的な俳優教育をしたヴァフタンゴフの言葉にこういうのがあります。「システムを知ることはできない。それはただ探究することができる。自分を点検することを学ばなければならない。なぜなら、システムの最後の到達点というのは、自分自身を認識することだから。」

芸術における主要な原則は、探究とクリエイティブな独創力だというのです。

実は、私がストラスバーグのところで「メソード演技」を学んだやり方も全くこの通りでした。シーンスタディの場合、台本選び、パートナー選びなどすべて自分たちで準備して、それをストラスバーグや他の俳優たちの観ているなか、舞台上で照明も入って本番としてやる。それが終わってからマン・ツー・マンでストラスバーグとのやり取りが始まるわけです。

ストラスバーグの指導もやはり俳優に自分自身を点検させ、認識させるやり方で、実に巧みでした。これは演技経験者であろうと初心者であろうと同じように行われました。

演技の基礎を学ぶ場合、生徒がこの自主性、積極性をどのくらいもっているかがとても重要になります。そして、それをどう方向づけてやるのか、それが指導の大事な仕事だと思います。日本の場合、与えられた課題を行動に結びつけて考えていくようにはなかなかならないと言う問題があります。頭でいろいろ考えてしまうので、その結果、身体が動かなくなる。

しかし、表現という行為は、自分の中から行動をおこしていくことができなければならないのです。自分の意志で、自分自身を使って、自分の欲するものを自分のなかから引っ張り出していく、この力を育てなくては基礎力はついていかないと思います。

この基礎力が育っていかないこと、これが日本の俳優教育の大きな問題だと思うのです。

基調報告は以上ですが、なぜ日本では基礎力が育っていかないのか、なぜもっと基礎に時間をかけられないのか、そもそも基礎教育のなかで何が一番大事なことなのかなど、演技の基礎教育に関していろいろなお話や意見をうかがい、日本の演劇教育の可能性を探っていきたいと思います。(注:本シンポジウムは、2013年3月23日午後3時から、池袋・大明小学校で行なわれた)