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日本演劇情報

俳優教育シンポ第2弾、実施レポート

2022/01/04
 日露演劇会議事務局

「日本におけるスタニスラフスキー・システムを用いた俳優教育の諸問題」

日時:2021年12月26日(日)15時〜17時(オンライン開催)

◎開会のご挨拶・パネリスト紹介

進行:佐藤貴之

パネリスト:西村洋一、松本永実子、守輪咲良 


 

◎パネルディスカッション

「なぜ現代にスタニスラフスキー・システムの手法が定着していなかったのか?」その要因。

□西村氏(ロシア演劇)

①スタニスラフスキー・システムに於いて「どういう演技をもって良しとするか?」が、今の日本では完全には理解されていない事が多い。

・ロシアにおけるスタニスラフスキー・システムの取り組みにおいては「本当に舞台の上で生きているか」。

・色んな状況の上で存在する。「本当に生きる」ということはその「質」が必要。→その質が日本では理解されていない。

②スタニスラフスキー・システムの本質は潜在意識

・潜在意識=過去のトラウマではなく、もっと本質的なもの。人間の身体の器官の一つ。感情は潜在意識からしか生まれない。顕在意識ではない。「感情をもっと出して!」と日本の現場ではやる。間接的にどう潜在意識に働きかけるかを行う。

・スタニスラフスキー=「潜在意識こそが本物の想像者である。」

☆日本の場合は潜在意識が働いていない。

③条件、スケジュールの課題

・ロシアから講師を招いても2、3週間から長くても1ヶ月。紹介は出来るが、身につかない。

・仮に一年間出来たとしても、基礎をやったあとに戯曲に入る。それで初めて全体像が見える。つまり、時間が掛かる。この長い期間をかけてトレーニングを運営できるのか。そこが定着するための課題の一つ。


□松本氏(RADAでのワークショップの経験)

☆松本氏の経験から、日本での俳優訓練についてどのような様相をしているかを紹介。

①松本氏の体験

・これまで関わってきた方は、下は小学生、上は80歳以上。プロの役者から市民劇場まで。演劇教育プログラムを組み、演劇企画JOKOで行っていた。

・英国王立演劇アカデミー(RADA)から3人の教師が来日し、一般向けの通訳をしていた。日本の各地方でワークショップを開催してきたが、地域によって演劇事情、システムの浸透具合が違った。

②授業やワークショップの結果

・スタニスラフスキー・システムでは「Want」が認識できないと出来ない。「目的」「課題」を答えるのに時間がかかる。

・日本の教育システム、現代の生活では自我意識が要求、意識されることが少ない。「あなたはなにがしたい?」と聞かれることがない。

・そして2000年以降新しい兆候が入り、日本の文化がまた変わってきた。日常生活の欠如、情感の欠如。情感生活を含めた暮らしがない。

例:専門学校の授業後、生徒から「恥ずかしいという感情が分からない」「一目惚れが分からない」等という質問があった。普遍的な人間の感情が分からない人が多いという時代になった。

若い人は潜在意識の過去のトラウマ体験に触れると壊れてしまう。 

③個人的見解:文化の違いは関係ない。

・深く文化の違いに踏み込まないようにしているが、無視もできないし、考えないわけには行かない。難しいところである。

・演劇教育の哲学として、ロシア人の言葉「芸術に対する愛情、責任感、教師や仲間に対する態度、勤勉さ、根性」19世紀末〜20世紀初頭のロシアの演劇教育は非常に厳しかった。


□守輪氏(アメリカでの実体験)

①日本の場合はセリフから稽古が始まる。

例: 台詞を覚えていったら、相手役が困った。「覚えるとレッスンにならない」と言われた。それはどういうことなのかということがレッスンのはじめ。

→土台はインプロビゼーション、台本・台詞を覚えるよりも、とにかく舞台に立つことから始まる。

②ストラスバーグは「感覚」というのが大事。(感覚が感情につながる)。感覚を働かせることで感情がついてくるし、思考もついてくる(=インプロ)。台本を解釈しない。

☆「解釈してはいけない」=自発性が求められる。自分で気付いていかなくてはいけない。自分に問いかけて、気付きながら役に入っていく。そのためには「自発性」と「肯定力」が必要。それがないとなかなか難しい。自分で気づかない。

③楽器という捉え方

・感覚、思考、言葉、好き嫌い、考え方など、その人が持っているトータルがその人の「楽器」という捉え方。


◎全体討論

質問1:(佐藤)「無意識」、「Oneself」、「存在」、「自発性」など源流は同じだと思う。根底として繋がっているロシア、欧米演劇教育が日本に導入されていく際に、阻害されているものは何か?文化の違いだけでは無いけど、何を頑張っていくべきなのか?

守輪:発想を変える。それが出来たら色んな可能性が出てくる。

例:セリフは暗記する方向に行くと、その他の感覚が働かなくなってくる。感覚でセリフの世界に入っていく。そうすれば可能性はある。

松本:①幼稚園、小学校の教育が守輪さんの話している標準教育でない。試行錯誤を許す寛容な社会と教育が必要。公立は特に。

例:みんなで一斉に「おはようございます」などの挨拶が違和感。発想を変えるのが演劇講師の仕事になっている。

②現状。演出家が演技指導をしなければいけない現場が多い。特に小劇場。演劇学校で習わないので現場で教えなくてはいけない。しかし、訓練は現場でやることではない。

佐藤:ワークショップの時間の短さもあり、役者もこれまでの意識を変えようとしているがなかなか難しい。制度的に教育しなければならない。単発(1〜2週間)のWSではなかなか難しい。段々と認識されてきてはいるので、今後どう打開していくべきなのか?

例:年単位での指導が必要な集団があり、取り組んでいるところはある。

守輪:明るくはなっている。自発性、肯定力に繋がってほしい。

佐藤:「とりあえずやってみよう」が許されない日本社会。日本のWS では「じゃあ、やってみよう」となると、恐怖感ともにやってしまう。自発性が無いように感じる。

西村:ロシアでは、喜んで前に出てやる。基本は自由。

例:一人のエチュード。ロシアでは、もうひとり勝手に連れてきて二人でやる。講師も寛容。

日本は消極的。特に最初は難しい。「自由」にやっていい、「オリジナリティ」でいいと言うと、日本人でも面白くやる。最初に理想的な状態に持っていくために最初は必要だが、そこをクリアするとロシアとも変わらないくらい自由にやる。導き方の工夫。

松本:RADAの講師は自発性(Spontaneity)とよく言う。「自発性」=内側から自然と湧き上がる行動や言動を評して使っている。

守輪:日本の場合、相手を先に聞いてから自分のことをやる。

→自分から相手を動かす積極性が問題。

松本:自分の方から相手を動かすための「verb」(他動詞)を使えという。今の子達は分かっていない。また、使役動詞がわからない人が多い。「相手を動かす」が分からない。

守輪:まずは「言い切る」ことが必要。言っても何か残っている。徹底的に行動も言葉も「やりきる」「言い切る」ことが必要。それができて、対立、葛藤にたどり着く。日本人の心情的なものとして「相手を傷つけないように」という部分があり、余分なものが残ってしまう。それをとっぱらう面白さがでてくるとやり取りが明瞭になり、新しい面白さに出会える。

質問2:俳優が訓練する際に「潜在意識」が決め手になると思いますが。この潜在意識に対しての認知が日本では低いような気がします。これも日本の俳優の演技に対しての認識がズレている気がしますがいかがでしょうか?

松本:「言い切る」ことが日本でもアメリカでも下手。日本では遠慮する。第三の目が働く。

守輪:今は日本人の頭の中がシンプルではない。色んなことを考える。アンテナが張りすぎている。単純でシンプルでいい。冒険する感覚。やりきる感覚が出来るようになると面白くなる。

西村:プロセスではシンプルも必要。ただし、作品によってはアンテナも必要。出し方の問題。

質問3:観客が日本人である場合、台詞を綺麗に言うのが舞台だと思っているお客さんが実際は多いと思いますが、そういった状況に対して皆様はどういう風に思われますか?

松本:私はそうは思わない。

西村:言いたいことはわかる。そうじゃない舞台もあるし、そういう舞台もある。最近思うのは、台詞を美しく話すことに重きを置く舞台はジャンルが違う舞台だと思うようにしている。ただ、レーチのトレーニングができれば対応出来るが、程度の問題。あまりにこだわりすぎると、そこから外れなくなる。目の前の相手とのリアルな関係で生まれる面白いやり取りが制限されてしまう。

松本:何をもって綺麗かということもある。

西村:能の語り方のような取り組みでも、生きて語れるやり方もある。歌と一緒で、潜在意識が働いて歌うのと同じ。トレーニングできればやりようがある。普通のお客様はあまり気にしないかもしれないが、気になるお客さんもいることは知っている。

松本:欧米の役者も、英語の発音に関しての訓練をやる。それは身についていて当たり前だから、大事なのはその先。先がなくて綺麗だけを求めているお客さんが多いとは思えない。

西村:そう思います。

守輪:観客の好みもある。作り手として、一番のものは伝わること。聞こえてくることとは違う。

例:マーロン・ブランドは舞台で何を言っているのかわからないけど、伝わるものがある。それがキッカケの一つでメソード演技が衝撃的なスタートを切っている一面もある。それを勘違いして、「言葉は伝わらなくてもいい」と言う人も出てきてしまった。

質問4:日常の中でどう生きているか、その人そのものの生き方というものが大きく影響すると思うのですが、先生方が普段心がけていること、気をつけていることなど、参考にお聞きしたいです。

守輪:メソード演技を勉強する前と後で、「自分の外側を見る」ということに気付いた。自分の外側にある世界を見ること。

松本:子育てをしている場合、外側を見ている余裕はなくなるけれども、その様な時ほど外側を見ていたほうが良い。役者として、観察の結果気付いたことも蓄積になる。観察して気付いた結果をメモしておいてもいい。また、朝起きたときに何をしたいかを決めてから行動するようにしている。

守輪:面白いものは自分の外側にたくさんある。人間だけじゃなくて、自然も。

松本:JOKOでは気づき日記として毎日書かせていた。

西村:ロシアでも観察の授業はある。外に出て周りの面白そうな人を観察したり、建物を見たり。お子さんがいるなら絶好のチャンス。子供は潜在意識がむき出しになっている。小学校に入る前までは表層意識と潜在意識が分離していない。子供が何かを要求するときに相手に対しての働きかけがストレート。大人の役者にも参考になる。

松本:子供は五感の感じ方が大人よりも鋭い。

質問5:役者間でも演劇の考え方に対して教育を受けている者同士でもかなり捉え方に差が出ているように感じますが、その事に対してどう思われますか?

松本:村井氏が2003年に開催した演劇教育のシンポジウムの記録の中に「日本の演劇人中に教育言語を作りたい」という指摘がある。ただ、究極的には難しい。同じ団体でもそれぞれに違いが出てくる。でも、根幹のところに共通言語がないことは悲劇。

西村:周りの状況を替えるのは難しい。その中でも、自分がトレーニング出来ていれば、周りが訓練されていなくても自分の方からこちらに関わらせることが出来るようになる。→その場で自分のできるようなことをする。ロシアでは全国どこに行ってもスタニスラフスキーなので恵まれている。自分の力をつける事が大事。

守輪:当事者は大変。全然違う演技でぶつかっても戸惑う。でも絡まなくてはいけない。どうやって絡むか?自分なりに球を投げて、それがどう返ってくるか。それに対してどう返すか。そこで自分がどう正当化するか。返すときに嘘はやりたくない。あまりにもひどかったら体当りするのがいいのではないか?ケンカになるかもしれないが、それが大事なことではないのではないか?そうなってしまったらまたその時に考えて、試してみて、稽古で作っていく。ある意味、ケンカできる方がいい。


◎結論

演劇教育の共通認識・共通言語をいかにして構築していくか。長く困難ではあるが、共通言語が合った上で考えが違うことはロシアや欧米では往々にしてあること。日本ではそのコンセンサスを構築するまでの歩みが苦労していること。

(レポート作成:小松原宏太【演劇企画JOKO】)