第10回演劇教育研究会
第10回演劇教育研究会
「自立した俳優の仕事について」ご報告
3月22日から4日間、高円寺K’sスタジオにて演劇ワークショップが開催された。講師はNYアクターズ・スタジオのリー・ストラスバーグに「メソード演技」を学んだ守輪咲良。参加者は劇団養成所の出身者、プロとして声優や舞台映像の仕事に携わる俳優、演技指導者など計7名。見学者2人。
大きく歪曲されて日本に広まってしまった「メソード演技」だが、スタニスラフスキー・システムに則った演技メソードであることを説明。
感情解放に対する誤った認識を訂正し、俳優が「与えられた設定」にどう集中していくかに内容を絞った。「与えられた設定」のそこに「いる」ということは「見る」ことからはじまったが、今回は舞台上に立ったときの役者の状態に調整の時間がかかり、演技の土台の部分に触れたところで4日間が終了した。
第1日目 そこに「いる」ということ
導入に自己紹介をかねてアクターズ・スタジオでの体験談やストラスバーグの指導方法などの話からはじめた。
・ 暗記したセリフをその通り言うことを禁じられ、そこに「いる」ことから演技の勉強がはじまった。
・ 演技の勉強はセリフを言うことではなく、舞台上で俳優が集中しなければならないことに徹底していて、理屈での質問や解釈は一切禁止されていた。
・ 舞台上でその時に求められていることが実際にクリアされるまで、どんなに時間がかかっても粘り強く指導が続いた。
・ 「見る」ことについて。家の近くの「一本の木」の話。
感覚の訓練を受け始めてしばらくたったある日、突然その木が鮮明に見えたときのショック。いかに自分がものを見ていなかったかに気づいた。頭で分かっていることとは全く違う世界、感動があった。
・ 演技は自分自身の体験として演じられていくので「自分と向き合う」こと、「自分を知る」ことができないと問題は解決していかない、など。
テキストはヘミングウェイの「白い象のような丘」、ワイルダーの「わが町」を使用。
まずは二人向き合って椅子に座る。
・ 演技しないこと。まず相手を見て、ニュートラルな状態で、声、言葉(セリフ)を相手に届けること。感情でセリフを言うのではなく、何を言っているのか(内容)を相手に伝えること、相手の言葉に耳を傾けること。
・ 「書かれていること」から事実を拾う。自分が思う「書いていないこと」などはひとまず横に置いておくこと。感情に直接触れようとはせず、ひとまず貯めておくこと。「与えられた設定」に集中したい。読み取る力が弱い場合、読んだときの思い込みや解釈が先行してしまう。俳優はリアリストでありたい。
昼食後、一人ずつ舞台上の「与えられた場所」に立ってみる。そこに「いる」と見えるものに集中。自分の見ているものを言葉にしながらやってみる。
舞台上で「見る」とは、実際に「見る」感覚が働かないと「見る」ことができない。
頭のなかでイメージを見ている場合が多い。明日は感覚について。
宿題:「家から駅まで」歩き慣れた場所をあらためて見てみる。新たな発見、気づいたことを話す。
2日目 「感覚」を働かせること 〜心の動きに耳を傾ける〜
宿題だった「歩き慣れた場所を見てみる」ことで気づいたことなどを一人ずつ話す。みんな「見る」力がかなり弱い。「見る」ことの重要さが分からなければ、「気づく」ことの大切さも分からない。感覚への集中をやってみる。
椅子に座ったまま背もたれに身体をあずけ、気持ちを落ち着かせたあと、身体をほどきながらリラックス。呼吸を深く入れ、深くはきながら力をぬく。楽器の調整。コーヒーなど通常自分が飲むものを選び、記憶をたどりながら、見る、触れる、香り、味などを思い出しながら感覚に集中してみる。
・ 一点集中にならないようにすること。集中の仕方を説明する。上手くいかなかったらこだわらない。気楽にやめて、息をぬいてやり直す。呼吸を整える。
・ 身体や顔に入る余計な力、身体のくせなど、目につくたびに指摘して取り去るようにする。
・ 上手くやろうとしない。結果を出そうとしないで、ゆるく楽にやること。
・ 集中しながら身体をほどく、呼吸を入れ直す、声を出すなどが大事。
・ 上手くいかないときには潔くあきらめて、声や言葉に結びつける。
結果ではなく過程のなかに表現がある。いい加減にやることへの勧め。
・ 目を上に向けたまま集中する人がいて、「見ていない」ことを指摘。
昼食後、テキストをソーントン・ワイルダーの「わが町」に切り替えて、感動表現に触れる。エミリーが「月の光が素晴らしすぎて勉強が手につかない」という場面。
このセリフを、女性はエミリーとして男性はジョージとしてやってみる。
「見る」ことや聞こえてくることから心の動きを表現につなぐことを説明したあと、全員に10分程度のリハーサルタイムを設けた。月を見ていたのは一人だけ。あとは台本に首っ引きになっていたり、物思いにふけっていたり、演技の練習をしたりなど。
そのあと台本にそって場面をやったが、セリフ中心になってしまい、月の光を「見る」ことに意識がいかない。
3日目 客席に開かれた演技について
これまでの2日間でやったことをまとめ、整理をしてみる。
・ 昨日「わが町」で何をやろうとしたかをあらためて説明。みんながやれていなかったことを指摘する。
・ それぞれの問題が見えてきたが、問題があることが問題なのではなくて、何が問題なのかが分からないことが問題であることを説明。
・ ワークショップ後半は、多くをやらず「わが町」で出てきたそれぞれの問題に的を絞って進めることを説明。
まず、昨日やった「感覚への集中」をもう一度やってみる。椅子に座ったまま、身体をほどきながらリラックスし、楽器の調整に少し時間をかける。
昨日と同じように飲み物を選んで感覚への集中を開始。昨日より全体として力がぬけて自分を出しやすい状態になっている。
感覚にまつわる記憶についての話。たとえば思い出のある曲について。昔、失恋したときに聴いていた曲。その曲を聴くと当時の切ない思いが蘇る、など。
昼食後、「わが町」に入る前に、自分の好きなものを10個選んで紙に書いてもらう。一人ずつ前へ出て、3つを選んで「私は〜が好きです」と言ってみる。言葉では言っているが、何がどう好きなのかなかなか伝わってこない。身体も顔の表情も硬く、口だけが動いている人が多い。顔に笑みを浮かべながら「好き」だという人もいるが内面とつながっていない。
そのあとに、昨日と同じく「わが町」からエミリーのセリフを中心に場面をやってみる。2人でのやりとりになると、セリフ中心の演技になってしまって行動を生み出すことができない。相手のセリフに流されて自分のやろうとすることに集中しきれない。演技してしまう人には演技をやめるように言う、など。
4日目 メソード演技におけるIMPROVISATION(即興)について
最終日の朝、参加者の顔の表情に変化が見られた。動かなかった表情が動きはじめ、
表情が開いて明るくなった。顔つきがすっきりしている、など。
「わが町」に入る前に、昨日の「好きなもの」をもう一度やってみる。自分のなかでただ感じているだけでは表現にならないこと、もっと表に現さないと表現にならないことを説明。人の前に立つことで緊張し、やりたいことができなかったり、やるべきことから逃げていたり、素直にできなくなっているなど個々の問題があって、一人一人に時間がかかる。
昼食後、「メソード演技」における即興は、台本が中心であることを説明。
場面のなかで自分が誰なのか、どこにいて、いま何が起こっているかなどに集中、同時に体験し、深めていくために重要であることを話す。最後に「わが町」の同じ場面から、エミリーとジョージのそれぞれの生活を探すエチュードをやった。演じようとしないで、自分自身からはじめることが大切。部屋のなかに何があって、自分がいま何をしているのか行動しながら探っていく。
ジョージは野球のことが気になって勉強が手につかない。エミリーは月の光が気になって勉強が手につかない、など。それぞれが自分の部屋でやっていることを、インプロ(即興)でしゃべりながらやってみる。演技しないで、まずは自分自身でやるようにと要求されて非常にとまどった人がいたが、これまで自分を演技に投入しない考えで仕事をやってきたという。それに対していろいろな話が出たが、残念ながらここで時間切れ。
最終日、参加者のほとんどが初日とは大きく違いを見せてくれたが、予定していた 《そこに「いる」こと》からの演技はもう少しあとになる。今回の参加者が継続して参加してくれることを切に願いながら、今後のワークショップを検討したい。
日本の俳優たちには「自分と向き合う」本格的な俳優訓練が必要。真剣に取り組んでいく俳優たちが一人でも多く増えていきますように。日露演劇会議の演劇教育研究会は心からそれを願っています。(守輪記)