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会員関連

キルギスの4つの国立劇場

2011/12/16
 日露演劇会議事務局

○月×日

ビシュケクには国立の大きな劇場が四つあります。オペラバレエシアター、ロシアドラマシアター、キルギスドラマシアター(閉鎖中)、人形劇場です。そのオペラバレエシアターから「蝶々夫人」の稽古を見て欲しいという依頼が来ました。こんな面白い話、断る手はありません。

数日後。稽古当日。

この「蝶々夫人」の稽古参加は「業務」という扱いになるのでスーツに着替えます。スーツで劇場入りするのは人生初です。公用車でオペラバレエシアターへ。これまでに二度、バレエ「白鳥の湖」とオペラ「椿姫」を観に来ました。一番安い席なら100ソム(200円)。誰でも観に来ることができます。旧ソ連圏のいいところですね。正面に「蝶々夫人」の看板。キリル文字で「チオ・チオ・サン」。

劇場正面の看板

裏口から劇場入り。舞台裏に出ました。劇場独特のすえた匂い。「落ち着くなあ」と思ったところで、今現在、如何に自分が演劇の現場から遠ざかっているのかが分かりました。ここは大抵、産みの苦しみで悶絶してた場所の筈です。

「お好きな場所にどうぞ」と言うので、全体が見えるように少し引き気味のところに座りました。セットもありませんし、衣装もつけていません。「蝶々夫人」はきっとレパートリーのひとつで、多分今日は音合わせ程度なんでしょう。

バレエ・オペラシアター

果たしてその通りでした。頭から流しますが段取りを忘れてよく止まってしまいます。キャスト同士も関係づくりも全く出来ていない様です。演出家は一番後ろにのんびりと座っていて雑談。何も見ていません。

一幕を終えて休憩に入ったのですが、あまり時間もないので、ここでコメントすることにしました。

関係者を呼びます。演出家も呼んだのですが、用事があるといって若い女性たちとどこかへ消えてまいました。来たのは舞台監督と演出助手と意欲的なキャスト1名のみです。

日本センターに依頼して私を呼んでくれたのはこの舞台監督の女性でした。彼女の目は真剣そのものであり、また知的好奇心に溢れています。彼女からの質問の多くは「所作」。そしてもっと大きく云って「日本の文化」「考え方」でした。

「所作」は私も詳しくないのですが、和物に俳優として参加したことがあります。その程度の私でも明らかな間違いだと分かるところがたくさんありました。手の位置、正座への移行、歩き方、その歩幅。特に膝の感覚。そして自決の作法などです。

女性の自決については、乃木希典の妻・静子の作法をもって範とすべしと云いますが、夫妻の自決は1912年ですから、このオペラの成立より時代が下ってしまいます。蝶々夫人にふさわしい作法はどうかと問われればそれは私にもよく分かりません。当時いろいろな方法があったのではないでしょうか。そもそも蝶々さんの自決には介錯もありません。

と、そのような長々しい説明はもちろんしません。無難な方法を二つ教えて「どちらも正しいので好きな方でいいと思います。」と言っておきました。文化や伝統に対しての質問をされた場合、相手を混乱させないために、一事が万事、このような回答になってしまいます。およそ「文化」に関して「正しい」などという言葉を軽々しく口にするのは決して良いことでは無いですね。文化交流という仕事はなんとも難しいものです。

話は戻りますが、稽古を観ていて一番衝撃を受けたのは、蝶々さんが仏壇の前で拝むシーンでした。文字だけで説明するのは少々難しいですが、蝶々さんは正座して天を仰ぐと、両手の人差し指を真上に立て、肘を肩よりも上にあげて目を閉じ、全身に力を込め始めるのです。誰がこんなこと教えたのでしょう。訊けば、ずっとこの所作で上演し続けているとのことでした。

一生懸命な舞台監督は、新事実が発覚する度に該当するキャストを奥から引っ張り出して来て、いろいろと実際にやらせてみます。キャストは面倒臭さそうにしていてやる気がありませんが、そんなことはお構いなしです。胸が熱くなりました。ずっとこの情熱を持ち続けていて欲しいと思います。

残念ながら帰る時間になりました。彼女は「すごく為になった!本当にありがとう!」と喜んでくれました。帰り際に少し雑談すると、彼女はもともと映画監督で、映画を撮る部署にいたそうです。革命後、舞台芸術の方に回され、あまり興味がなかったオペラバレエ劇場への配属となってしまいました。国家公務員として芸に関わることの不思議さを感じずにいられませんが、それはさておき、彼女は燃えているのです。ここでだっていい仕事をしたい。そしていつか映画が撮れるポジションに戻れる日を夢見ているのです。

これ以後本番まで、蝶々夫人の稽古に私が顔を出せる日はありません。ついでに云うと本番の日も、指導に当たっている太鼓グループの入団試験があるため、観劇することができません。でもきっとあの舞台監督が、今までで一番の「蝶々夫人」に仕上げるくれるはずです。それは日本人の私が多少の所作を教えたとかそんな表面的なことではなくて、大げさにいえば稽古にこめる「魂」の話です。

長くなりました。

間もなく日本へ帰ります。では、また。

江尻浩二郎